ヒメツルソバ日記

明るい気持ちになった物事を綴ります

室井滋さんのエッセイを読んで

少し前、黒柳徹子さん司会の『徹子の部屋』に、女優の室井滋さんが出演されていました。お話を聴いているうちに、久しぶりに室井さんの書かれたエッセイを読みたくなりました。今から30年前ごろから、『むかつくぜ!』や『キトキトの魚』、『東京バカッ花』や『まんぷく劇場』、それから『すっぴん魂』等を愛読していたのです。


さっそく、いつも利用させてもらっている市立の図書館から、『おばさんの金棒』(2016年出版)と、『ヤットコスットコ女旅』(2019年出版)の二冊を借りてきて読みました。


まず、室井さんが食事を重要に考えていることがわかります。東京から地方へ向かう新幹線の中で、室井さんが口にする朝食は、いつも魅力的です。『ヤットコスットコ女旅』では、天むすや天然酵母クルミパンを食べ終えた室井さんが、自分が一番楽しみにしていた手作りコロッケパンを、隣の席に座る青年に差し出しました。青年の買おうとしたサンドイッチが、車内販売で売り切れていたからです。これを読んだとき、室井さんは種類豊富に、いったい幾つ用意しているんだろうと、楽しい気持ちになりました。


食べるって、たいせつです。『おばさんの金棒』の中にも、室井さんは毎月ラジオの録音のために故郷富山に移動されていて、大雪のために、仕事の前日に富山入りを決めたときのことを書かれていました。雪国育ちの室井さんは、綿密な計画を立てていましたが、天気のことはどうしようもありません。富山へ行けるだろうかと、不安が胸いっぱいになりながらも室井さんは、特急列車を待つ間、「一応、腹ごしらえをしておこう」と、立ち食い蕎麦を食べるのでした。


『ヤットコスットコ女旅』には、室井さんのたいせつな猫たちのことが綴られています。白茶のフワフワした毛並みのシロちゃんは、17歳のおばあさん和猫です。野良猫時代に悪い人間に後ろ足を切られたようで三本足になってしまいました。面倒を見てくれていた和菓子職人のおじさんがいなくなったあと、室井さんが保護されたそうです。シロちゃんは懐くことをせず、5年ほどたったある日、猫ゴハンの支度をする室井さんの背中にやっと身を寄せてきたといいます。室井さんは、「シロちゃん、ありがとう。本当に辛かったね」と言って号泣しました。


同じ本に、当時、もうすぐ19歳になるチビちゃんに始まり、多くの猫たちと暮らすようになったことで、室井さんの生活がすっかり変わったことを記されていました。外に飲みに行くことを控えたり、釣り好きのために船舶も所有していたのに、船も手放し、釣りも止めたとあります。ふらりと旅に出ることもできなくなったので、出張の折に旅情を楽しんでいる様子です。


『おばさんの金棒』の中に、ある年のお正月、室井さんが近所の神社に、自転車に乗って初詣に行かれたことが書かれています。午後2時に訪れた折に神社は混み合っていたので、喫茶店に行くなどして、夕方の4時までの間に三度行ってみました。けれど、人混みは多くなるばかりです。自転車、置けないし……と思っているところに、室井さんは、男性が倒れているのを発見します。人通りのない住宅街の、アパートのゴミ置き場でした。戸惑いながらも室井さんは、自転車から降り、大きな声で男性に呼びかけました。男性は酔いつぶれていたようで、大事には至りませんでした。このあと室井さんは、「もしかして私、この人を助けるために参拝が先延ばしになったのかも」と、心の中でつぶやくのでした。


わたしも同じような発想になるので、ふと思ったのです。室井さんは、父方のおばあさんと一緒に暮らしていたと聞きます。わたしも幼いころ、母方の祖母のもとで生活していました。そこでは、お天道様、台所のかまどの神様や井戸の神様、仏様やご先祖様が、目には見えない存在として普通に存在していました。昔の日本は、どこに行ってもそのような暮らしであったと聞きます。室井さんも日常生活の中で、自然と目には見えない存在とつながっているのだと思われたのです。


室井さんのエッセイを読んで懐かしい気持ちがするのは、わたしは雪国育ちではないものの、原風景が似ているからかもしれません。


ホテルの庭園での早朝ロケで、室井さんは付き人見習いの青年に、缶ではないコーヒーを依頼しました。青年はコーヒーを一度目は持って帰れず、二度目に室井さんの助言があって持ち帰ることができたのです。そんな俳優志望でもある青年に、「いいわね、人にダメって言われても、一回はどうしようって考えるのよ。一休さんを見習いなさい」と諭す室井さんが、『おばさんの金棒』の中にいました。ちょっとくらい困難なことがあっても、すぐにあきらめないで、前向きに考えないとなあ……と、わたしも青年の後ろで学ぶのでした。