ヒメツルソバ日記

明るい気持ちになった物事を綴ります

『なぜ英国は児童文学王国なのか ファンタジーの名作を読み解く』を読んで

いつも利用させてもらっている市立図書館では、新しく図書館に入ってきた本が、ロの字の形に置かれた会議テーブルの上に、適度な間隔を空けて一冊ずつ平置きされています。会議テーブルの周りを回りながら本を見ているのですが、本が見やすく、手にも取りやすい高さです。そのように並べられていた中に、『なぜ英国は児童文学王国なのか』という本があり、読んでみたいと思ったのです。


『なぜ英国は児童文学王国なのか ファンタジーの名作を読み解く』(平凡社)は、明治学院大学文学部、英文学科の教授である安藤聡さんが執筆されています。


序章で、安藤さんは、児童文学が成立するための要件として、子どもの識字率がそれなりに高いこと、親が子どもに本を買い与えるだけの経済的な余裕のあること、それに子どもの読書に大人の関心が向くだけの精神的な余裕もあることを挙げています。また、伝統的に児童文学は挿絵の重要度が高く、一般の書物よりも高度な印刷技術が求められます。19世紀後半から20世紀初頭にかけてが、英国における児童文学の第一次黄金時代であり、この時期は絵本の第一次黄金時代ともほぼ重なっています。その背景にあったのは、英国の経済と科学技術の急速な発展でした。大英帝国の全盛期とおおよそ同時期であるといわれています。


英国の児童文学には特にファンタジー(非現実的設定を含む物語文学)に優れた作品が多い。と、安藤さんはおっしゃいます。そして、ファンタジーを生む英国特有の背景を、2019年にご自身が書いた『ファンタジーと英国文化』(彩流社)の序章から抜粋されていました。それは、アングロ=サクソン的現実性とケルト的空想の対照をなした共存や、風土(天候・風景・地質・生態系)の多様性、それに古い屋敷や庭園、古木が多く残っていることなどです。


それらのことに加えて重要な背景は、「親の不在」であるといいます。親の不在には、たいせつな二つの意味を持ちます。一つには、主人公は親の監視の下では実現できない物語を経験します。伝統的に児童文学の作者や読者が属するのは上層中産階級の家庭であり、それらの家庭の子どもは、子ども部屋で乳母(ナニー)に育てられ、一定の年齢になると全寮制の学校に送られたり、父親の海外赴任などもあって、両親の不在という状況が稀なことではなかったようです。


親の不在が持つ、もう一つの意味は、子どもが過去と切り離されているということです。両親は、幼い主人公の冒険の機会を奪ったりするだけでなく、その子どもの過去とのつながりを保全する存在でもあります。『ハリー・ポッター』シリーズにあるように、孤児や何らかの理由で親から引き離されている子どもは多くの場合において、過去とのつながりを奪われ、居場所だけでなく自己同一性(アイデンティティー:自分とはこのような人間であるという明確な存在意識)をも喪失した状態にあり、居場所や自己同一性を探求し回復する過程がその物語の中心をなすのだとありました。


この本の中で安藤さんは、多くのファンタジー作品を読み解いておられます。どれもが読んでよかったと思うものでしたが、その中に、この年(還暦過ぎ)になって改めてたいせつなことに感じる箇所がありました。それは、ルーシー・M・ボストンが綴られた『グリーン・ノウ』シリーズ、第一巻『グリーン・ノウの子供たち』での記述です。


家庭にも学校にも居場所のなかった7歳の少年、トウズランド(トリー)は、クリスマス休暇に曽祖母のオウルドノウ夫人から、住まいのグリーン・ノウに招かれます。手紙が届くまでその存在さえ知らなかった曽祖母でしたが、彼女は「お帰りなさい」とか「よく帰って来たわね」というような意味の言葉でトリーを迎えてくれました。そうしてトリーが、このグリーン・ノウ屋敷で過去とのつながりを発見(し、居場所やアイデンティティーを回復)するために、曽祖母は彼に、「待って様子を見よ」という教えと「気短になってはいけない」という助言を与えるのでした。少しでも若いうちに、自己主張を抑制して「気長な」「受動性」を身につけることができたら、しあわせなことに思われたのです。


1950年代の英国は、階級構造が変化し、自動車や各種家電製品の普及など、米国文化の流入が進んだことにより生活様式が大きく変わり、英国的・イングランド的伝統が急速に失われた時代でした。この年代に書かれたファンタジー作品には、『ナルニア国物語』(全七巻)や、『指輪物語』、それから『借り暮らしの小人たち』(全五巻のうち三巻まで)や、『グリーン・ノウ』(全六巻のうち三巻まで)等があります。ファンタジーはつねに何らかの形で現実世界を反映しているとあり、特に急激な変化の過渡期や、それに伴う不安に見舞われた時代に、優れたファンタジーが多く書かれるのだといわれています。


英国(殊にイングランド)においてユーモアは、欠くことのできないものであるそうです。英国の社会人類学者、ケイト・フォックスは、イングランドのユーモアの根底にある「秘められた法則」として、真剣過ぎることや厳しく動かしがたい様子を、好ましくないものとして避けることを挙げている、といいます。過度の真剣さや厳しく動かしがたい様子は、自己に対する行き過ぎた関心や自分を重要視し過ぎることと関係があり、ユーモアは「真剣過ぎない」心の余裕や謙虚さの顕れでもあるのだと、ファンタジーの名作を読み解きながら安藤さんは考察されています。