ヒメツルソバ日記

明るい気持ちになった物事を綴ります

父のいる場所 ②

(①からつづいています)


2003年当時の話として、作家であり、作詞・作曲家でもある新井満さんが、この英語詩を翻訳し、曲をつけて、自身で歌う、CD「千の風になって」を私家盤で制作されたことを、記されていたのです。そこには、新井さんの訳詞も掲載されていました。


亡くなった人が言います。わたしはお墓にはいないのだと。風になって大きな空を吹きわたっているのだ、というような内容です。それまで亡くなった人が、ずっとお墓にいるとか、いないとか考えたことはなかったけれど、体を離れて魂だけになった存在が、風のように行きたい場所に行けたり、自由であってくれたら、この上なくしあわせなことだと思いました。


お墓の前で手を合わせるとき、父はそこにいてくれる気がします。わたしが帰ると、父もまた、そこにはいないように思うのです。何のためにお墓に行くのかというと、気持ちのように思います。父のための場所があり、そこを少しでも整えて心の中で感謝の言葉を言うことで、行ったり来たりするものがあるようにも思います。


わたしたち家族が仏壇の前で手を合わせるときや、父のことを思うとき、父はそこにいるのだと思うのです。それ以外の普段、父はどこで何をしているのでしょう。