大きな心で、小さなことをする。というような言葉を読んだことがあります。それなら自分にもできそうだと感じたのです。まずは、自分がしあわせになろうと思いました。しあわせな人は意地悪ではないはずです。なので、しあわせな人が増えると世界は平和になるのではないか、そのように大きな物事と結びつけてみると、自分がしあわせになることがとても意味のあることに思えたのです。
ただ、普通に生きていたら心は暗くなりがちです。そのネガティブな感情というのは、人間が原始時代から身につけた、危機回避のための反応であるといわれています。生きていくために必要であったのです。そのような心の仕組みが分かっていると、気持ちも落ち着きます。肩の力を抜いて、自分はしあわせになるのだと心を決めました。
たとえば、「今日ごはんを食べられたことはあたりまえじゃない」「こうやって布団の中に寝れているのは普通のことじゃない」と、夜眠る前に小さな声で口に出してみると、しあわせなことを実感します。また、布団の中に入っても考えごとが止まないときに「ありがとうございます」と心の中で言い続けていると、気持ちが穏やかになって眠れていたりします。あたりまえじゃないことに気づくことや、肯定的で前向きな言葉を話すことで、しあわせでいることができるように思うのです。
それに、人は他の人から親切にしてもらえたら、自分もまたお返ししたいと思うものなのだと感じます。それは、しあわせなことです。
人は生まれてきて、経験して(なかでも失敗して)そうだったんだと気づいていって、生きるのがだんだんらくになっていくように思います。
若いころは何も分からなくて、生きていくことがしんどかったのが、年とともに経験とともに、だんだんとらくになっていき、自分が……自分が……と背負い込もうとすることもなくなりました。わたしは、何かをする以前に、背負い込もうとする気持ちによって自滅してしまうような性質だったのです。結局、背負い込んでも背負い込まなくても、できることは変わらないのだと気づきました。
そのようななかで、みなさんの中のひとりとして、できることをさせていただくことが、わたしにとってのしあわせであり、最善なことなのだと思うようになりました。今よりちょっとでも気持ちにゆとりのある人間になってかえることが目標であったりします。