(①からつづいています)
社交界の場を目指して、英語の正しい発音の仕方、話し方、立ち居振る舞いの作法、考え方に至る厳しいレッスンが始まりました。イライザやヒギンズだけではなく、協力して見守ってくれるヒギンズの友人、ピカリング大佐(インドの方言研究者である)や、ヒギンズ家で働く人たちも、毎晩ずっと遅くまで(いや明け方まで)の練習で、頭はガンガン、心身共にヘトヘトです。そんな中、ヒギンズは、君がしているのは意味のあるすばらしい事だ、難しいがきっとできる、とイライザを勇気づけるのでした。
ただ、ピカリングは紳士淑女の何たるかをイライザに教え、彼女をレディとして扱ってくれますが、ヒギンズはイライザを花売り娘として扱います。ヒギンズによると、大事なのは作法の良し悪しでなく、誰にでも同じ態度をとる事だと言うのです。自分は貴婦人にも花売り娘扱いをしているので、ほかの女と差別はしていないのだと。
ヒギンズのレッスンを受ける前のイライザは、自分を守ってくれる人が現われることを夢みていましたが、難しい課題をやり遂げた彼女は成長していました。自分に対してねぎらいの言葉をかけるでもなく、ほめてくれることもなかったヒギンズに素直な気持ちを打ち明けます。ヒギンズはこのまま自分の家にイライザが居てくれることを望みますが、自分の素直な気持ちまでは伝えられないのです。そんなヒギンズにイライザは、あなたがいなくても私一人の力で立てる、と言えるようになっていたのです。ヒギンズにとって理想とする女性でした。彼がそう口にすると、イライザはきっぱりとヒギンズに別れを告げたのです。
ジョージ・バーナード・ショーの原作では、イライザが家を出て行き、ヒギンズ教授はひとり残されたところで終わっているそうです。わたしは映画の最後の場面のほうが好きかもしれません。イライザは大人だなあと思いながら……。