ヒメツルソバ日記

明るい気持ちになった物事を綴ります

草刈正雄さんに学ぶ ②

(①からつづいています)


ある日、街中で、草刈さんは一人の中年男性から声をかけられます。その人はスナックのマスターで、彼の店の厨房で(当時、草刈さんは16歳で接客の仕事はできなかったので)働くことになりました。夜、学校で勉強したあと、クラブ活動の軟式野球の練習をしてからの2つめの仕事でした。


しばらくしてマスターは、草刈さんの容姿であるならモデルにでもなったほうが収入を得られるといって、草刈さんを博多のモデルクラブに紹介してくれたのです。そのモデルクラブに草刈さんが行ってみると、博多では男性モデルの需要がほとんどないことが分かり、今度は東京のモデルクラブに話を通してもらえました。その後のカメラテストに合格した草刈さんは、慌ただしく上京し、東京でのモデルとしての生活が始まったのです。


もしかしたら自分はモデルには向かないかもしれないと思いながらも、収入のことを考えると、“ほかへは行けないぞ。ここでやっていくしかないんだ”と決意を新たにすることの繰り返しだった草刈さんがいました。


1970年、資生堂の男性化粧品「MG5」のテレビコマーシャル出演によって、草刈さんの名前は日本中に知られるようになります。すべてが順調に運び始めていた73年、草刈さんは買ったばかりの車で行ったドライブの帰り道、人身事故を起こします。その後の草刈さんの誠実な対応と、また、彼のそれらの行動を知って記事にしてくれた週刊誌の記者もいて、いったんは諦めた仕事を続けられるようになりました。その記事を目にした映画監督の篠田正浩さんが、自身の映画の出演者に草刈さんを呼んでくれたのです。


(③につづきます)