もう一度、自分に生まれたいだろうか。(『ずっと読みたい0才から100才の広告コピー』編者:WRITES PUBLISHING・ライツ社・【霧島酒造】CM 2014年・コピーライター:門田陽[電通]) この言葉を読んだとき、問いかけられたような気がして、考えてみることにしました。
“もう一度、自分に生まれたい?”。近くにいた母に聞いてみました。“それしかないやろ”と母。“そうやでなあ、いろんなこと経験して分かったのに、このつづきじゃないともったいないよね”、そう言うわたしに、母も“そらそうや”と返しました。どうやら、わたしたち母娘の考え方は似通っているようです。
もし今、自分でない人の人生と入れ替わったらどうだろう? 今より恵まれた環境だったとしたら、しあわせだろうか? と想像しました。外から見ただけでは分からなくても、中に入ってみたら、つらいことも思うようにならないこともありそうです。それに、その状態になるまでに、その人が積み重ねてきたものが自分になかったら、その環境を維持していくことはできません。
なによりも、そこに自分の大切な人たちはいません。そう思ったとき、今の自分は恵まれていて、しあわせなんだとあらためて気づかされました。そして、たぶん人は、ありのままの自分でしあわせになりたいんだと思いました。自分が納得してちょっとずつ変わっていくことがしあわせなんじゃないかとも感じました。
もう一度、自分に生まれたいだろうか。もし、もう一度生まれるとしたら、自分でなかったら意味がないと思うのです。