ヒメツルソバ日記

明るい気持ちになった物事を綴ります

青い山を望む ②

(①からつづいています)


13歳になったセザンヌは、エクスの有名校、コレージュ・ブルボンの寄宿生となります。同じ学校に、後に自然主義作家となる、エミール・ゾラがいました。父を亡くしたゾラは経済的困窮に陥ります。そのために、いじめの対象となったゾラを年長のセザンヌがかばい、バスティアン・バイユと共に親しくなったのです。3人は南フランスの自然の中で、文学や芸術への興味を分かち合いました。


1858年には、ゾラが大きな望みを抱いて、パリに引っ越していきます。セザンヌは、美術の道を志したいと願っていましたが、彼の父は、息子が法律を勉強して、自分の創設した銀行の頭取を継ぐか、役人になることを望んでいたのです。その間で悩むセザンヌでしたが、1861年4月には、父親の許可を得て、パリで絵の修練ができるようになりました。


ところがパリでの生活は、内向的なセザンヌにはなじめないものでした。そんななか、アカデミー・スイスの画塾で出会ったピサロが、セザンヌの最も信頼できる友人になります。ピサロは、1855年からパリに住んでいる、心優しい初老の男性でした。他の若者に、地方訛りをからかわれるセザンヌの肩をもってくれたのです。


また、女性モデルに気後れするセザンヌは、色彩研究や写生以外は、自分のアトリエで描くことを好んだのです。そんなセザンヌに、ゾラは制作に集中させようとしますが、彼にはできないことでした。下町で経済的に苦しい生活をおくるゾラとは会うことが少なくなり、やがて友情も冷めていったとあります。


半年もたたないうちに、セザンヌはパリからエクスに戻りました。父親に説得されて銀行で働き始めますが、長くは続かず、地元のデッサン学校に再入学するのでした。


やがて、父の銀行業務から解放されたセザンヌは、再びパリに戻り、アカデミー・スイスでルノワール、モネらと出会うのです。


(③につづきます)